大森氏

大森氏と言えば、駿東地方や小田原城を思い浮かべる人が多いと思いますが、寒川町にも大森氏の痕跡が残っています。そこで、小田原城を出てから寒川町へ至る経緯と、寒川町に残る大森氏の遺跡を辿ってみます。

1.小田原城を出てから寒川町へ至るまで

(1)小田原城を出た理由・時期

小田原城を出た理由・時期には諸説あります。その一部を下の表に示します。「明応4年(1495)北条早雲に小田原城を攻め落とされた」というのが通説(寛政重修諸家譜、甲斐国志)です。「明応5年(1496)以降に退去した」という説(小田原市史 通史編 原始古代中世)もあります。

(2)相模国を出た理由・時期

小田原城を出た大森氏は、その後真田城(平塚市真田)を始めとする大森氏や三浦氏の城へ移り、そこで数年間過ごした後、泰頼は甲斐国へ行ったと思われます。(寛政重修諸家譜、甲斐国志、駒沢史学第22号)

「明応7年(1498)真田城の戦いがあった」という説(寛政重修諸家譜、甲斐国志)があります。この年は東海大地震があり、戦どころではなかったという説(小田原市史)もあります。

甲斐国へ行った一つの理由に「土屋勝遠が受け入れた」というものがあります(→[土屋氏 三つ石/九曜 (桓武平氏良文氏流)])。「山内上杉顕定書状から、甲斐、武田信縄(のぶつな)の庇護を受けていたという想定も成り立つ。」という説(小田原市史)と考え合わせると「土屋氏の世話になった」という説もあり得ることと思われます。土屋氏と大森泰頼の関係を下図に示します([土屋氏 三つ石/九曜 (桓武平氏良文氏流)]「郷土さむかわ第十二集」より)。ただし、「泰頼が大伴時信の子を室にした」という説は「泰次の外祖は菊地」ということに反します。泰次は泰頼の子ではあったが、大伴時信の孫ではなかった、ということでしょうか。

(3)甲斐国を出た理由・時期

天文10年(1541){又は天文13年(1544)}泰頼が甲斐国浅利で死んだ後、泰次は相模国へ帰ります。天文10年は武田信虎が晴信に追放され駿河国へ行った年でもあります。こうした政変も泰次が相模国へ帰ったことに影響しているという説もあります(「郷土さむかわ第十二集」)。甲斐国から相模国のどこへ帰ったのか定かではありませんが、仙波某の世話になった(寛政重修諸家譜)とすれば、遠藤村、あるいはその周辺に住んだと思われます。仙波某の子、仙波次種は北条氏政に仕え、遠藤村(現藤沢市)に住み、宝泉寺に墓があるそうです(寛政重修諸家譜)。

泰次が相模国へ帰った時、外祖の菊地を名乗っています。母親も一緒に相模国へ帰ったとしたら、母親の実家の一之宮(現寒川町)に住んだ可能性もあります。

2.寒川町に残る大森氏の痕跡

仙波某の世話になった泰次が、いつから寒川町内(一之宮または田端)へ住むようになり、そこで何をしていたか不明ですが、現在も残る痕跡から、その足取りを探ってみます。寒川町に残る大森氏の痕跡は下表の通りです。

西暦 和暦 場所 出来事
1570 元亀元年 一之宮 泰定母宝篋印塔(本姓大森菊地下総守藤原泰定母)建立。
1590 天正18年 田端 大森(菊地)泰次、豊臣秀吉の小田原攻めに際し危難にあった。生往寺境内の松の陰に潜み難を逃れた。(寒川町史)
1596 慶長元年 田端 大森(菊地)泰次、生往寺開創。
1597 慶長2年 一之宮 泰定母宝篋印塔隣地へ車地蔵建立。(菊地下総守家分地につき証文)
1610 慶長15年 田端

5/24:生往寺、宝篋印塔(円鏡院殿生誉妙西大姉:泰定継母)建立。

大森(菊地)泰次没。81歳。11/7:生往寺、宝篋印塔(東岳院殿往誉生西居士:泰次)建立。

1638 寛永15年 田端 大森(菊地)泰定没。82歳。生往寺、宝篋印塔(生光院殿慶誉念西)建立。
1663 寛文3年 田端 生往寺、頼照の母の宝篋印塔(永宝院殿天誉妙照大姉、庄式部少輔資直の娘)建立。

(1)泰定母宝篋印塔(一之宮)

泰定母宝篋印塔は元亀元年(1570)に建てられています。永禄12年(1569)に武田信玄が小田原攻めの帰路、寒川神社へ明珍房宗が小田原で作った兜を奉納した翌年のできごとです。この時泰次42歳、泰定14歳。泰定母は若くして亡くなったと思われます。

(2)生往寺(田端) 大森氏の宝篋印塔

生往寺は大森(菊地)泰定が慶長元年(1596)に開創しました。豊臣秀吉の小田原攻め{天正18年(1590)}から6年後のことです。

生往寺に大森氏の宝篋印塔が四基残っています。泰次、泰次の室、頼照の母(泰定の室)は一カ所にまとまっていますが、泰定の宝篋印塔は少し離れた所にあります。

左:泰次、中央:泰次室、右:頼照母
左:泰次、中央:泰次室、右:頼照母

(3)車地蔵(一之宮)

車地蔵堂は慶長2年(1597)に建てられました(菊地下総守家分地につき証文)。大森(菊地)泰次の家老の秋元金平には子がなかったため、菊の丞を養子に出し、併せて秋元金平の願いにより車地蔵を建立。車地蔵は安産子育てに霊験あらたかと言われ、現在も大切に祀られています。縁日の毎月24日にはお堂の扉が開き、車地蔵を直接拝むことができます。

地図ー大森氏ゆかりの地

大森氏関連サイト

大森氏関係の城館めぐり 駿東地方の大森氏、葛山氏の城と館 平成29年8月9日(PDFファイル)

http://tonymaco.cool.coocan.jp/oomorijoukan.pdf

発行:2017.9.1

改訂:2018.2.4