車地蔵

寒川町一之宮に車地蔵堂があり、その中に供車に乗った木造の車地蔵が祀られています。


地図

由緒

寒川町一之宮車地蔵(田端生往寺持)は、木像の地蔵尊を祀ったお堂です。供車(ともくるま)地蔵とも言います。「車地蔵沿革史」によれば、堂宇の建立は、慶長2年(1597)3月15日、江戸初期に一之宮に居住していた大森菊地泰次(注2)とその家老の秋元金平によると言います。秋元は、人びとの模範となるような忠臣でしたが、あいにく嗣子がありませんでした。そのためこのままでは家が衰微すると察した主君の泰次は自らの長子、菊之丞(注3)を養子とし、併せて禄高の一部を分知してその後継としました。このことで主君に対する金平の忠誠心は益々深まりましたが、泰次もその至情を承け、安産子育地蔵尊を共に祀ったと言います。明治初年、堂宇の衰微により、本尊は日向薬師(伊勢原市)へと移管されましたが、明治27年(1894)火災により焼失したそうです。昭和11年(1936)、後裔の霊夢を契機に堂宇の再建が企てられ、また本尊も再刻され今日に至ります。講中奉納による前立の石の地蔵尊は江戸期のものです{左:1715年(正徳5年)作、右:1665年(寛文5年)作}。毎月24日の縁日には、地蔵講中による奉仕が現在も続いています。(『町史10』p113)(『さむかわ大事典(『寒川町史』13 別編 事典・年表CD-ROM版)』より引用)

特徴

1.木造

全国にある車地蔵の多くは石像です。木造の車地蔵は少ないと思われます。(御本尊として祀られているお地蔵様には木造のものが多くあります。)

2.供車

全国にある車地蔵の多くが「車」とは後生車を表しています。

供車に乗った車地蔵は少ないと思われます。

3.相模国高座郡南部地蔵尊24札所

相模国高座郡南部地蔵尊24札所の内、第10番札所

ご詠歌 「住みはてぬ 浮き世は憂(う)しと お車の 巡りて救う 誓い嬉しき」 

お堂の周り

堂の外、左側の宝篋印塔は1570年{元亀(げんき)元年}のもの。

右側面を見ると「元亀元庚午(かのえうま)年」であることが確認できます。

1570年と言えば、戦国時代で、姉川の戦い(注1)があった年。

その前年、1569年(永禄12年)は、武田信玄が小田原攻めの帰り、寒川神社へ参拝し、兜を奉納し、信玄芝原で兵を休めた年。

この宝篋印塔は、車地蔵を建立した、大森(菊地)泰次(やすつぐ)(注2)の妻の墓です。

裏面に「本姓大森 菊地下総守 藤原泰定 母」と掘られています。

泰定は泰次の子であり、「泰定 母」とは、すなわち、泰次の妻です。泰次41歳、泰定14歳の時でした。

近在の車地蔵

茅ヶ崎市本村海前寺車地蔵

車地蔵のお話(*1)

 

本村1〜4丁目の辺りは、昔からの家々が集まる一画です。昔、ここに「おかね」という娘がいて、ある若者と愛し合っていました。ところが若者が心変わりをして、ほかの娘と一緒になったことから、おかねは若者の家に火を放ちました。放火は重罪で、おかねはとがめられて火あぶりの刑になりました。ところが、それから夜になると車を引くような「ギー、ギー」という叫び声が村中に響くようになりました。これは、おかねの霊が迷っているからだということから、地蔵を作り、車地蔵と名付け供養したところ、不思議な叫び声はなくなったということです。 車地蔵は、本村4丁目にある海前寺の墓地の一画に今も祭ってあり、覆屋(おおいや)のなかに5体並んでいるうちの1体(右から2番目)がそれといわれています。

(海前寺ご本尊「延命地蔵菩薩」は高座郡南部地蔵尊二十四札所の内、第4番札所です。)

注釈

注1:姉川の戦い

6月28日、近江の国、姉川流域で行われた織田信長軍と浅井長政軍との合戦。

 

注2:大森(菊地)泰次(1529~1610)

明応4年(1495)頃、伊勢宗瑞(北条早雲)に奪われるまで小田原城主だった大森氏の末裔。北条方に知れるのを避けるため、母方の菊地姓を名乗った。1596年(文禄5年 67歳の時) 小田原の文賀を招き、生往寺を開創。生往寺に菊地泰次の墓がある。

 

注3:菊之丞

「寛政重修諸家譜(かんせいちょうしゅうしょかふ)」によれば、

泰次には泰定、重俊(しげとし)の2人の子がいた。(*2)

菊之丞は、このいずれでもないと思われる。

生往寺に4基の宝篋印塔がある。

この中の一基が泰定の継母(円鏡院殿生誉妙西大姉)の墓である。1610年(慶長15年)に建てられている。この「泰定の継母」が菊之丞の母かもしれない。

出典

*1:「湘南のお地蔵さま」中島 淳一 江ノ電沿線新聞社 2017.4

「茅ヶ崎郷土史」水越健 あしかび叢書3 昭和34年

http://chigasaki-city.com/culture.php?ID=448

「東海道沿いの伝説」 ちがさき丸ごとふるさと発見博物館 「文化資料館ブックレット1 あのみち このみち 歴史みち」

http://chigasaki-city.com/culture.php?ID=828

 

*2:新訂 寛政重修諸家譜 第11 昭和40年5月30日発行 p320

最終更新日 2018.4.9