田端 生往寺

寒川町田端 生往寺
寒川町田端 生往寺

田端にある浄土宗の寺院。山号は東岳山、院号は永法院という。本尊は阿弥陀如来。江戸期は増上寺末。文禄5年(慶長元・1596)6月、文賀の開山。開基は、大森(菊地)泰次。山号の東岳山は泰次の法号でもある東岳院による。大森(菊地)泰次はかつての小田原城主大森氏の末裔。寺院創建の由緒について、寺伝等は次のように今日に伝えている。天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原攻めの際、田端において理を失った泰次は、松の巨木の陰でその危難を逃れた。この奇縁により後にこの松の脇に寺院を建立したのが生往寺であったと。境内にはこうした菊地氏との関係を示すように、泰次はじめとする大森一族の墓3基が現存する。開基の文賀も元は小田原本誓寺の住持。小田原攻めの戦乱で寺院が焼失した後、江戸で存応の弟子となり家康に寺地を与えられ八重洲(東京都中央区)に寺院を建立するなど高僧としても知られていた。(『町史10』p96)(『さむかわ大事典(『寒川町史』13 別編 事典・年表CD-ROM版)』より引用)

生往寺に大森氏と遠山氏の墓石碑があります。

大森氏は、後北条氏の前の小田原城主です。

小田原市>歴史年表

遠山氏は、豊臣秀吉の小田原征伐で、後北条氏が小田原城を明け渡した時、徳川家康と共に関東へ入国し、萩園(茅ヶ崎市)を知行した旗本です。

大森氏と遠山氏の家紋

大森氏

二つ巴
二つ巴

遠山氏

丸に二引き
丸に二引き

大森氏と遠山氏の墓石碑

生往寺にある大森氏と遠山氏の墓石碑は次の表の通りです。

(注:遠山氏の墓石碑は初代から9代までありますが、下表は初代から4代まで)

和暦 西暦 大森氏 遠山氏 備考
元亀元年 1570 大森菊地泰定母   宝篋印塔は一之宮車地蔵(生往寺持ち)脇にあります。
文禄2年 1593   遠山安吉(法名:一心) (*1)
慶長元年 1596     大森菊地泰次生往寺開創
慶長5年 1600   遠山安政(法名:宗心)  
慶長15年 1610 大森菊地泰定の継母   5月
大森菊地泰次   11月
寛永15年 1638 大森菊地泰定    
正保4年 1647   遠山安重(法名:浄心)  
寛文3年 1663 大森佐久間頼照の母   頼照は延宝2年(1674)5月13日88歳で没。
貞享3年 1686   遠山安次(法名:歸西)  

*1: 生往寺本尊の中尊・阿弥陀如来立像(79.5cm)は、室町時代(1392年~1573年)の作(*2)です。

*2: 寒川町史11別編 美術工芸 平成4年(1992).11.1

改訂:2018.4.9

発行:2017.9.1