寒川町と下寺尾官衙遺跡群

茅ヶ崎市にある国指定史跡「下寺尾官衙遺跡群」と寒川町の関係を拾い出してみました。

国指定文化財等データベース>名称 下寺尾官衙遺跡群

http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/index_pc.html

 

文化遺産オンライン>下寺尾官衙遺跡群

http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/239411

1.下寺尾廃寺が建っていた頃(680年~940年)、下寺尾は寒川郷だった可能性

下寺尾廃寺の寺名と、当時下寺尾は高座郡(たかくらぐん)のどこの郷に属していたか、共に定かではありません。寺名の候補に「海円院」「法承寺」「漢河寺」などがあります。

「漢河は『寒川→寒河(かんが)→漢河』と転じたものではないか。もし、寺名が漢河寺(*1)なら、当時下寺尾は寒川郷に属していたのではないか。」という説(*2)があります。

漢河寺=下寺尾廃寺であるならば、漢河寺=定額寺であり(*3)、天慶3年(940)10.27、定額寺の大仏が汗を流した(*4)のであれば、定額寺=漢河寺=下寺尾廃寺は940年まで存続していたことになります。

*1:「ふるさと歴史シンポジウム 復元!古代都市平塚~相模国府を探る~」p26「『相模国府』をめぐる年表」荒井秀規 2006.11.11

(平成26年度神奈川県考古学会講座「相模国を創る 古代の役所と寺院」 主催 神奈川県考古学会 2015.2.22 p44 {上記「ふるさと歴史シンポジウム」の引用)}

*2:

「神奈川県の歴史(県史シリーズ14)」 中丸和伯 S49(1974).1.10 山川出版社 p48

「かながわの古代寺院」 岡本孝之 2001.3.11   神奈川県考古学会 p7, 9

「相模の古代史」鈴木靖民 2014.10.15 高志書院 p136

*3: 「郡家と周辺寺院」シンポジウム「下寺尾官衙遺跡を考える」H24(2012).7.15 荒井秀規

*4: 日本記略 後編 第二 朱雀院

2.下寺尾に七堂伽藍(下寺尾廃寺)があったと言い出したのは寒川町民

一之宮の木島鄰(たすく)(淡哉:第2代寒川町長)氏が「明朗の茅ヶ崎」第十号 昭和14年4月15日で新編相模国風土記稿の上正寺の項を元に、下寺尾に「七堂伽藍があった」と述べています。


「明朗の茅ヶ崎」第十号 昭和14年4月15日

新編相模国風土記稿 上正寺


3.下寺尾廃寺や群衙と都を結ぶ幹線道路は寒川町を通っていた

宝亀2年(771)(*1)、東海道は四ノ宮(平塚市)(*2)から相模川を渡り、寒川町を通って海老名へ通じていたと思われます(*3)。そのため、下寺尾廃寺や群衙と都(奈良・京都)を往来する人々は、寒川町を通っていたと思われます(*4)。

 

*1:時代によって変化していった古代東海道のルート

http://hamarepo.com/story.php?page_no=1&story_id=1912

*2:平塚市の[構之内遺跡(かまのうちいせき)]、[東中原E遺跡]から古代の道路跡が発見されています。

*3:「神奈川の古代道」 藤沢市教育委員会 博物館建設準備担当 1997

*4:「史跡 下寺尾官衙遺跡群 保存活用計画(素案)」平成29年1月23日 茅ヶ崎市教育委員会 p27

4.礎石(実物)が寒川町に残っている

寒川小学校内に七堂伽藍(下寺尾廃寺)の礎石が残っています。

5.「下寺尾官衙遺跡郡」の一部は寒川町にある

下寺尾官衙遺跡郡の内、岡田南河内遺跡と大曲五反田遺跡は寒川町にあります。

岡田南河内遺跡:祭祀関連遺構が出土しています。概ね8世紀後半頃と想定されています(*)。

大曲五反田遺跡:律令的な祭祀跡が出土しています。9世紀前葉~中葉頃と想定されています(*)。

 

*:シンポジウム「下寺尾官衙遺跡を考える」2012.7.15-16 基調報告4「小出川河川改修事業関連遺跡群の調査成果」依田亮一、高橋香

6.七堂伽藍跡碑建設の発起人の中に寒川町民もいた

発起人の中に寒川町岡田、大曲、一ノ宮の人が加わっていました。

7.伝説

「七堂伽藍(下寺尾廃寺)を尼さんが焼いた」という伝説が茅ヶ崎と寒川に残っています。

これは海老名の「尼の泣き水」に似た話です。下寺尾廃寺の場合、その尼さんが住んでいたのが「榎戸」で、その場所は今も残っています。更に美女塚伝説として「榎戸」の近くに祠も祀られています。

 

[年譜]

下寺尾廃寺が建っていた頃の出来事

時代 事柄
 飛鳥  天武4年(675) 日本書紀に相模国に関する最初の記録として「高倉郡」の名が見える。
7世紀末~9世紀中葉 下寺尾高座郡衙(8世紀が中心)が存在。
奈良 和同7年(714) 「着好字(群郷名には良い字を使え)」という措置に伴い高「倉(くら)」を高「座(くら)」に変更。
養老年間(717~723) 安楽寺(真言宗)建立
天平14年(745) 東大寺 創建
天平勝宝4年(752) 東大寺大仏造立
天平宝字元年(757) 景観寺(天台宗)創立
宝亀2年(771) 武蔵国の東海道編入。これに伴い、相模国内の駅路の変更。東海道が寒川を通るようになった
平安 承和元年(834) 薬王寺(古義真言宗)造立(寒川神社の別当)
承和2年(835) 鮎河(現相模川)に浮橋が架けられた(「類聚三代格」巻16 太政官符)
承和13年(846) 「続日本後記(しょくにほんこうき)」に寒川神社が初めて登場
貞観15年(873) 国分尼寺が漢河寺(下寺尾廃寺?)へ移転(日本三代実録)
元慶2年(878) 関東に大地震発生。(この地震で海老名の国分寺、下寺尾郡衙、下寺尾廃寺が壊滅的な被害を受けた。国分尼寺が漢河寺から元の地へ戻った(日本三代実録))
延長5年(927) 「延喜式」に寒川神社は「明神大社」の記述あり
天慶3年(940) 相模国分寺や定額寺(=漢河寺=下寺尾廃寺?)の仏像が流汗する。(*)

*:「ふるさと歴史シンポジウム 復元!古代都市平塚~相模国府を探る~」p26「『相模国府』をめぐる年表」荒井秀規 2006.11.11

関連サイト

発行 2017.12.7

改訂 2018.1.21